溺れ気味

幼い頃から自信がないといろんな人に言われてきたのは、小学校で休み時間に先生に「トイレ行ってもいいですか」と聞いたり、母親に何をするにも「これしてもいい?」と聞いたり、何かしら確認をとって許可を得てからでないと動きたくないと言うのが言動に現れていたからだと思う。中学校の頃に通っていた塾では、自信を持って大丈夫だよと言うことをよく言われ、それが逆に私は自分に自信を持っていないと刷り込むことになってしまったのかもしれないけれど、動物占いでは「根拠のない自信を持ったたぬき」とされている。

最近は本当に自信を無くしている。30過ぎて、なんの仕事を一つ決めてやってきたわけでもなく、20代でうつ病と摂食障害をしてから息苦しくなった日本を出るべくヨーロッパのある国に住み着いて、病気で成し遂げられなかった学士を修め、ついでに修士号も修め、おまけに博士号を目指そうと言うところまで来てしまった。どこの世界に行っても、優れた人はいるもので今年入った学校ではたくさんの秀才な人たちに囲まれたとても恵まれた環境に身を置くことをできた。どんな時も謙虚な姿勢は必要だと思うが、どう考えてもどうして私がこの学校に認められたのかよく分からなくなっている。言語の障害もあれば、やったことのない学問と言うことで学問上のハンディキャップもあり、いろんな文献を読むたびに落ち込むばかりなのだ。

今から始めても遅くはないと言うことがあるけれど、本当に私より10ほど離れた人がスイスイ泳いでいるのを横で見ながら、私は必死にビート板を持ってバタ足の練習をしているのだ。つらいつらい。しかし基礎がなければ、自由には泳げない。バタ足ができずにクロールは泳げない。息継ぎをしなければ沈むのみ。励まし励ましやりながらも、自分で自分を奮い立たせるにも限界というものがありはしないか。私は今とてもつらい。何もできていない自分がつらいのだ。