ホタルノヒカリ

インターネットでふとドラマ『ホタルノヒカリ』がアップロードされていて、違法ではあるのだろうけれど、ひと息に数話続けて見てしまった。昨夜は、彼が遅かったこともあり、ワインを手酌しながらふわーとしていた。綾瀬はるかが可愛らしいのはもちろんなんだけれども、私が今の彼とおつきあいを始めた頃に思っていた不安や何やらかにやらが詰まっていて、すごく暖かい気持ちになった。メッセージを送って返信がこないとか、本来の自分を受け入れてくれるかとか、相手が楽しんでるのか分からないとか。相手にぶつければいいのに、言葉にしないで悶々と考えていた気がする。そういう中で「部長」の影の応援は、私には天使の導きのように見え、深い愛情にも感じられ、本当に心が温まった。なぜか触発されて、彼に短い手紙まで書いてしまった。私は原作『ホタルノヒカリ』知らないので、その辺りは何も言えないけれど、可愛らしい要素がたくさん詰まった作品だと感じた。オンタイムで見ていなかったので、折りたたみ携帯電話だとか、服装だとかが懐かしくて、あの頃に私は誰に恋をしていたんだろうと思ったりした。今は、また違ったモヤモヤがあったりするけれど、目を見て信頼できる人を自分で選んだと信じているから、それでダメならしょうがないって思ってる。いつもこういうことを思うと、初めの彼を思い出す。彼がいたから今の私があるし、たくさんのことを学んだ。彼への恋人としての想いはもうないけれど、遠くで幸せになってくれてるといいなぁと思う。私は、もらった命の時間を精一杯楽しみたいから、中途半端じゃなくて思いっきり誠実に正しいことをしたい。自分が気持ちいと思うことをしたい。『ホタルノヒカリ』の蛍の、不器用でもまっすぐぶつかっていく姿が愛らしくて、素敵で、私もそうあれたら、と思った。

大人になったら

大人になったら、もっと色々楽になると思ってた。自信を持って、先が見えていて、自立していて、孤独にも強くなって。それでも、ないものを見るよりは、あるものに目を向けるようになった。自信はなくてもそういう自分を部分的にでも認めることができるようになったり、先なんか見えなくてもどうにかなるだろうという楽観的な視点ができたり。自立は全然できてない、経済的にも精神的にも。孤独には揺さぶられることもある。きっとそう出なくなったら、自立もできないんだとも思う。自立は孤独なことだと思うから。20代に我武者羅になって探してたものは何だったのか今でも分からないけれど、今は手に掴めないような得体の知れない永遠とか真っ白な純粋なものとかでなくても、私はやっていける気がしてる。これからどうなろうと、後悔しないような、その時にいいと感じたことを選んでいくことと、その時にやっていることに誠実に向き合うことが大事だと思ってる。友人に、面倒臭いくらいの正しさに苦しくなったら言ってね、と言われた。そうだ、きっと私は面倒臭いくらいの正しさを追い求めながら、途方もない欲望を抱えているから辛いんだ。こうありたい理想も欲のうちに入るはず。それと現実がかけ離れすぎている(と思ってしまう)から、辛いのだ。だからいつまでも楽にはならないけど、きっと受け入れられるようにいつかなるのかもしれない。

Notre relation

En ce moment, je réfléchis beaucoup sur la relation avec mon ami. Si j'y pense maintenant, j'étais aussi comme ceci quand j'étais avec Shôgo. Je croyais que j'étais insuffisante pour continuer avec lui, et que, comme il m'acceptait quoi que soit mon état de santé, je devais également l'accepter tel qu'il était, même s'il y avait des choses gênantes pour moi. Pendant 4 ans, j'ai gardé une boule de mécontentements cachés derrère moi, en suivant la croyence que j'ai créée par moi-même. Au bout d'un moment, elle a explosé ; je ne pouvais plus tenir cet explosif que j'ai fait. Shôgo n'était pas du tout au courant, me-semble-t-il, que j'avais accumelé des insatisfactions que j'ai senties chez lui. 

Entre le couple, il faut parler, partager ce que chacun pense. Il ne faut pas conclure sans demander ce que l'un pense de l'autre. On ne peut pas comprendre sans discuter. Si l'un se dit avoir compris l'autre avec sa propre logique, il risque de se laisser piéger. Tout le monde n'a pas la même logique. 

Moi, j'essaie de dire franchement ce que je pense de toi, lorsuqe je me rends compte qu'il y a quelque chose qui ne va pas. Avant que ça devienne grave, il convient de demander des avis à l'autre. Je ne veux plus avoir une boule de neige explosive. 
J'espère que toi aussi essaies de faire ainsi. J'aimerais que cette relation devienne quelque chose auquel on pourrait faire confiance sans doute. 
J'espère également que ton objectif sera réalisé, et j'y crois. 
Je me rend compte, chaque fois que je réfléchis, que je t'aime. 

決心

疑いだすと、底なし沼に陥る。一挙手一投足もあれもこれも全部マイナスに結びつけようとする思考回路が確立され、大きな不安の波に飲まれる。一度疑いだすと、こういう風にどんどんと自動的に支配されてしまう。それでも、信じ切ってニコニコして幸せに暮らしていたら、あんなことが起こったんだ。一番信じていた人に、裏切られると、分かった瞬間は唖然として思考が停止して、壊れたロボットみたいに何も感じなくなる。後になってじわじわと恨みとか許せない感情が次から次へと寄せてはかえす波のように、絶え間なくフラッシュバックが襲う。許せていない自分にも自己嫌悪を感じながら、何につけても「あんなことしたくせに。」と思いながら相手を見やる。どろどろとした感情が離れなくて、沼に足を取られたようにどこまで行っても見晴らしのいい出口にたどり着けない。「別れた方がいいんじゃないか」とまで考えつくが、そこでどこかでブレーキがかかる。そういううちはきっと、何もかもを無視してアクセルを踏むべきではないのだろうと思う。幸いなことに吐き出すことのできる友人がいる。同じような経験を話してくれて、長い時間をかけて解決して行ったと言ってくれる。きっと「別れる」というのは、最後の最後のどうにも動きたくなくなった時の手段なのかもしれない。目を見て愛おしいを思う間は、踏ん張ってみるしかないのかもしれない。沼と思っているところから、もしかしたらどろどろとした水分が抜けて、しっかりとした土が見えてくるかもしれない。慣性の法則は物理だけでなくて、心理にも働くのかもしれない。無理矢理にでも、信じ切ってみること。愛する、愛したいと思う人を信じきらずに誰を信じるのだろうか。頑張れ私。私が愛せ、愛する人を。

分からないこと

なぜ紛争や戦争はなくならないのだろう。

なぜ人は命をかけて戦うのだろう。

中学生のころ、同級生と一緒にアメリカのアフガニスタン侵攻映像を目にしてから、ずっと考えてきた。私たちは小さな頃から、「喧嘩はよくない。話し合おう。」と育てられてきたのではなかったか。人の命を掛けてまで、守るべき信念などあるのだろうか。国の長が決めたから、戦いの決定になんの関係もない一般人が戦場に出ることの不条理。

戦争に関しては、どこをどうやっても理解できない。

戦争は良くない。世界が平和になってほしい。そう思って国連に行きたいと思った。大学で国連公用語を専攻し、国際法をやってみれば、なんと第二次世界大戦後に、理論上は戦争を繰り返さないという理念でできた国連でさえ、各国の利益がまず考慮に入れられて動いていることに失望した。

他国が、自国の経済にとって有利に働くならば同盟・協定を結び、または有利に働くよう搾取し、大きな経済的効果をもたらす思惑が働けば、戦争までやってみせる。

どうしても理解ができない。

国の経済的な豊かさが、国民の貧富の差を埋めていると考え難い状況で、富裕層はますます富み、貧困は進行し、それでも豊かさを求めて戦いを挑発する。

石油利権、武器輸出、戦後の再建経済など。

背後に経済的要因があるにせよ、首脳たちは、「民主化」「地域安定化」「対テロ」と称して敵地に介入していく。最終手段として武力が存在すること自体に疑問を呈する政治家はいないのか。

ISに対する空爆がヨーロッパでのテロを減少させたか。

湾岸戦争での恨みが貿易センタービルの破壊につながったのではなかったか。

それに対するアフガニスタン攻撃が、ISの形成を助長したのではなかったか。

 

私は、どこまでいっても戦争が手段の1つになっていることに理解が追いつかない。

 

un mois d'absente

1ヶ月、一人になった。彼はアメリカへ出かけて行き、楽しそうに過ごしていた。私は仕事へ行き、同棲している部屋へ帰宅し、手抜き料理を作ってパソコンでドラマを見ながら頬張った。その間に、仕事を辞める決意をした。もう本当に、最初にこれは違うと思った感覚を信じるのが一番だと改めて思った。面接の段階で、「これは違う」と思ったのを鮮明に覚えている。経験だと思って数年続ければいいかもしれないと思ったのも確かで、最終面接の時に(最終だとは伝えられていなかったが)、やりたいという意思を示した。結局、「これは違う」と思ったことが仕事全体に影響したことで、具体的に言えば、テレビは視聴者ありきであること、尺が限られているため専門性を欠くこと、第一報が重んじられること、と言ったところか。アシスタントが命だと記者は言った。しかし、私はアシスタントを5年も10年も自分を騙しながらできるほど、ずる賢くなれないし、地位が欲しいわけでもない。修士2年の勉強を初めて、すごく楽しいと思う。これでいいと思う。我慢しながら、金曜日を待ちながらお金を稼いで、気分転換に買い物をするような生活をしたくないのも確かだ。私は天邪鬼だし、わがままだ。

それでも、会社側がこんなにも引き止めてくるとは思っても見なかった。結局、退職の意を伝えてから1ヶ月が経ち、またこれから辞めるのに1ヶ月かかりそうだ。やれと言われたことをやり、必要そうだと思われることをやり、分からないことを聞き、と言ったことをしているだけだのに、なぜゆえに、なかなか見つからないというのかよく分からない。私より優秀な人は世の中に万といるだろうし、と思うのだが、なんともありがたい言葉をたくさん頂戴した。

と言っても、私の意思は固く、なんとも体もきつい。

あれよあれよとしている間に、1ヶ月が過ぎ、もうすぐ日焼けした彼が帰ってくる日が近い。この人と過ごしていきたい、なぜかそう思った1ヶ月だった。私は彼を愛している。

誕生日

修士1年の論文が書き終わった。色んな人に助けてもらって、全部で75ページの論文になった。書く前は空恐ろしくて、得体の知れないものだったけれど、終わってみたらなんてことはなく、案外スラッとできてしまったという感じだ。多分、終わった直後の開放感もあってそんなふうに思うのかも知れない。それから、今日は誕生日だ。空が晴れわたっている。小鳥がチュンチュンと一生懸命に鳴いている。車のエンジンのかかる音がする。27歳でフランスに着いた時に、私はこんなことを想像していただろうか。結果は後から付いてくるというのは本当に言い得て妙で、点と点が繋がるようにできているのか、私自身がうまいことやってのけたのか、はたまた運命というものがあるのか、さっぱり分からないけれど、とても身軽に誕生日を迎えられたことに感謝である。

昔は、自分が何かをやってのけたという感覚がないととても不安を覚えたものだった。やった価値とか、成果とかそんなものから安心を得たかったのかしら。今ではよく分からないけれど、もちろん今だって不安は押し寄せたりするけれど、しっかり立てているんじゃないかと、思う。

印刷屋さんのお姉さんが、「Bon courage! Passez une très bonne journée!」と言って、装丁の終わった私の論文を渡してくれた。表紙を見て、悟ってくれたのだろう。その力のこもった目がとても嬉しかった。

担当教諭の先生も、「Félicitations!」と言って迎えてくれた。よく頑張りましたよ。第一次期限で出すのは貴方ぐらいじゃないでしょうか。と。私は、もう一人提出した人を知っているのだけれど。修士2年も続けられるでしょう、とおっしゃられて、このまま担当を続けてくれるとも言ってくれた。

私は、人に恵まれている。私も、周りの人に小さくでも笑顔を勇気を持ってもらえるきっかけを与えられるような人間でありたい。そのためにも、私自身も、小さな幸せを見つけながら、笑いながら泣きながら、生きたい。自分ならできると信じながら。

 

おめでとう。そして、産んでくれてありがとう、お母さん。