引っ張られる
どうしても、期限ギリギリになってしか本腰を入れられないという癖が治らない。
いつもまだ大丈夫だろうという根拠のない見切りを付けて、腰をようやく上げる頃には合格ギリギリのものしか作れないような時間しか残っておらず、始めたら始めたで面白くなって、もっと早くに始めておけばよかったと悔やむのだ。
今も現にそうで、まだ終わってもいない課題そっちのけでオイルマッサージをしたり、プログを書いていたりするから、おめでたい。
昼間は昼間で、昔のメッセージのやり取りを読み耽ってしまって、とても感慨深かったから、この記事を書くことにもなってしまったのだ。
昔のメッセージの相手は、この間手紙をくれた人で、今になって読めば、
私は彼をとても頼りにして甘えきっていたと思うし、
彼は、それを流さずに時間があるときにきちんと返事をくれていたし、
その頃には気付かなかった愛情が沢山感じられてしまった。
失恋をしてその人が去っても、愛情は残って生きている。
というのをどこかで読んだ。
私も、そう思う。けれど、その手紙の彼とはお付き合いもしていないし、
ごく近しい何でもさらけ出せる間柄としてやってきたから、
なんともそのメッセージから感じ取れる愛情に引っ張られそうになる感覚も否定できない。
この人と一緒になっていたら、どんな人生だっただろうか。
一時は揺れに揺れて、吐き気まで起こし、この無責任で不誠実なのは良くないと思い、
手紙まで書いて説明した。(こちらに来てから、プロポーズのような告白をされたのだった。)
そんな迷いがあったまま、一緒に居られる方もたまったもんじゃなかろう、とも思う。
私が逆の立場だったら、選べと言うより私から去るだろう。
正確に言えば、迷いはないのだけれど。
揺るぎない信頼を置いている人ではあるけれど、
交際をしたことはない。
気持ちが加わると、人って変わるものだ。
恋を飛び越えて、愛情は感じるけれども、
知らないことがもしあった時に、私たちはお互いへの信頼が高いために、
大きく崩れやすいかもしれないし、お互いの関係性を理想化しすぎているのではなかろうかと思ったりもするのだ。
そんなことをああだこうだと考えながら、私は何をしているのだと本当に自分が情けない。
昔撮った写真を見たら、これ以上ないくらいに彼は笑ってた。
あれくらい素直になりたい。