フランスが外出禁止になるまで

Covid-19がニュースで取り扱われ始めて3ヶ月目、フランスでも外出禁止となった。

 

3月12日マクロン大統領は学校教育機関(大学も含む)の閉鎖、全国市長選挙の第一回投票の維持を発表。

学校教育機関に対しては、その翌週の月曜日から閉鎖を開始するとした。私のいる研究機関でも月曜からの閉鎖に備えて、テレワークの準備を始めた。修士・博士課程を持つ研究機関では、それ以前から年金改革への反対や、教育制度改革の反対など、2019年の新学期からこれまで、セミナーは通常通りに開かれてはいなかった。特に2019年12月から1ヶ月間は、パリのメトロが大幅にストに入り、私のいる機関も通学・通勤を鑑みて閉鎖となっていた。

私は、12日20時にマクロン大統領の発表があると知って、最後のチャンスだと思い、午前中の仕事を終え、少し街を見て、ウィンドゥショッピングなどを楽しもうと、少し歩くことにした。その時買ったピスタチオ色のカーディガンは、まだあまり活躍していない。

 

さらに、その2日後の3月14日、エドワー・フィリップ首相は、スーパー、銀行、薬局などを除く、国の生活に必要不可欠でない店舗(レストラン、バー、映画館などのサービス施設)の同日深夜12時からの閉鎖を発表、不必要な外出を控えるよう呼びかけた。

私は、その時友達の家で4人でラザニアを食べながら一杯やっているところだった。お花屋さん、レストラン経営、いろんな友人の顔が浮かんだ。深夜をすぎてUberで帰る頃になると、街はガラガラで道路もスイスイ通った。それが友人と会って飲む最後となった。

 

その翌日の日曜日、外ではピクニックを楽しむフランス人の姿が大きく報道された。とても天気の良い日であった。私もピクニックをしたかった気持ちを抑えて、家で過ごしていた。

 

3月16日、マクロン大統領はさらに厳格な外出制限を最低でも15日間敷くと発表。さらに、フランス企業への支援、より深刻な地域に対しての軍隊の登用、医療関係者のためタクシーやホテルの徴用(を可能にする政府決定)、フランスとEUへの入国・入域の30日の封鎖などを発表。

その数時間後に、カスタネー内相がその詳細を発表した。例外的な外出の際は、宣誓書の携帯(違反者には38€ー135€の罰金)の義務化、10万人の警察官や憲兵を配置、全国市長選挙の決選投票の延期、EU圏以外の国籍を持つものに対してのフランスとEU圏への国境封鎖など。

例外的な外出は、テレワークができない仕事、食品・薬などの必需品の買い物、高齢者や障がい者の世話、犬の散歩などの一時的な外出とされている。

 

外に出たーい!!

 

困ったこと

今日はとても感じが悪い。気分が落ち込んでるのは分かったけど、なかなか認めたくない。でも何もやる気も起きないので、何もやっていない自分も責めたくなる。頭では分かっているこど、気持ちと気分がついていかない。完全にやられている。こうなる前にどうにかしたかったけど、どうしても部屋で一人でいたい。そして誰かにそばにいてほしい。江國香織の「ネギを刻む」を思い出す。

二足の草鞋と言うけれど、私は自分のやりたい研究を目指す傍ら、仕事もやらなきゃ食べていけない立場にいて、それはそれは面倒くさい。どっちもやりがいもあって大変だからこそ、どちらかに逃げられる時間があるのはいい。それでも、両方が襲ってくることがある。私はどちらにも追いかけられている感覚に支配されて逃げ場がなくなる。この時、どれも感覚であることが大事で、逃げてしまってもいいのである。逃げてしまった方が、心身共に健康なことも分かっているけど、それができないから困っている。

 

三島由紀夫が『宴のあと』に描いたように、以前からお金で政治を動かすということは珍しいことではなかったのだろう。フランスではマクロン大統領は、イエローベスト運動で浮き彫りになったフランス社会の問題を「全てのフランス人に開かれた」議論をするという目的でグラン・デバ打ち出した。締めくくりとなる学者を集めた討議ではラジオがインターネット中継をした。結局、そのグラン・デバは国民と大統領との新たな解決策を模索する討議ではなく、全国民に開かれた討議という形を取りながらマクロンが自分の政策を全国に中継させたというような形に終わった。国家予算を投じた宣伝活動だ。日本では、政党が雑誌と提携して選挙間近の宣伝キャンペーンを始めたが、そこでは政党の政策さえも語られていない。一方で、同政党が国会の予算委員会の出席を3ヶ月も拒否して、国会の討議が選挙の大事な時期に行われていない。自身の党のために、国会議員の一番重要な重要な仕事をせずに、ただ国民から給与をもらって、次の選挙キャンペーンのために、政策を語らない人気取りの為に若い女性向けの雑誌のページを買ったのだ。

お金を持った人が勝つ社会、それを自分の努力おかげだけだと思わせてしまうような世界というのは、環境問題がよく映し出している。自分が良ければ、次の世代、今被害を受けているものたちのことはどうでもいいのだ。なぜなら、自分はお金と権力を努力で勝ち取ってきたのだし、そうでないものはその努力を怠ったのだから。社会階級の研究を見れば、生まれた家の収入や両親の学歴の子どもの学歴や職歴への影響は明らかである。子どもを大学に行かせるまでにいくらかかるか、奨学金をもらえるだけの低所得世帯であるのか、奨学金という名の借金を将来返し続けながら、どれだけの資産が築けるのか、大卒と高卒の最終的な地位の差の統計を見たことはあるか。

なぜトランプ大統領は富裕者であるかというと、父親が億万長者であったからだ。マクロンはなぜグランゼコールに行けたかというと、学資に費やせるだけの家庭に生まれたからである。私が今でも研究をしていられるのは、母親が堅実に貯金をして、私が海外の大学で生活するだけの資金を援助してくれているからである。

スタート地点は一緒でないのが現実なのだ。優位にスタート地点に立てた人間は、そのことを知らなくてはならない。アメリカに生まれるのか、イラクに生まれるのか、チェコに生まれるのか、スウェーデンに生まれるのか、台湾に生まれるのか、ジンバブエに生まれるのか、チリに生まれるのか、タイに生まれるのか、エチオピアに生まれるのか、日本に生まれるのか。。。為政者はもちろん、お金がないと選挙に出られない現代社会では、そのチャンスに恵まれたことを意識することもなく、権力を握る。大企業から献金をもらい、その見返りに大企業に優位な経済政策をし、「持てるもの」がより生きやすい社会を作る。「持てるもの」は「努力のおかげ」で得た財産を独り占めする。自分が高校にやっと行けるような家庭に生まれ、専門学校にも行かずに就職し、正社員で入った会社で数年後に入ってくる大卒新卒者との給料の差を目の当たりするような人生があったとは夢にも思わない。

全ての始まりは運である。この不平等を是正する為に、日本国憲法でも健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利が認められている。権利が認められているということは、政府はそれを保証する義務を負う。国民に権利を認めるには、そのチャンスを提供できなければいけないからだ。

為政者たちよ、おめでとう。あなたはお金と権力を持てる星の元に生まれてきたのだ。不平等な世界に、平等なチャンスを与え給え。憲法13条に保証される幸福追求権を保証せよ。一部の人が富を独り占めした社会は、やがて購買欲が落ち込み、企業収入が落ち込み、投資が冷え込み、利率も下がり、物流が途絶え、国の経済は回らなくなる。あなたの命は、社会の全ての構成員と同等に輝かしいことを知れ。

 

糸口

誰と話しても、何をしていても、とにかく自信もないし自分のことを誰かに相談しても仕方ないだろうと思ってしまうくらい卑屈になっている時期で、研究も仕事もうまくいっていないという考えが自分を覆ってしまっている。

講演会にいらした先生らとお食事する時に、一人の教授が「何か認められないとやってられないよ、それは」のようなことを言っていて、あぁきっと私にはこれが今ないんだろうなと思った。今年論文を終えられる目処もついていない。終わったとしても博士課程に行けないだろうと思っている。社会に対して何か生産的なことができていないことがとても苦しいんだろうなと分かってしまった。

自分のやりたいことがはっきりしていないから余計に人にも説明できないし、一人でぐるぐる考えるだけで糸口は何も見えてこない。今の研究だって結局書き終わらないと私の言いたいことは誰にも伝わらないし、今は何も言いたいことが見つかってもいない。

自分を省みる時間というのは、本当に大事な時間だったんだろうな、と改めて思う。それが一緒にできた人がいた時間も共有できた話もきっと私の栄養になってたんだろうと思う。私は、そういう友達から遠く遠く離れてしまっていて、自分だけで消化できていないものがたくさんあるのかもしれない。

溌剌と初々しくいたいと思いながら、なかなか卑屈な自分が嫌である。

去年の論文が満足に認められず、今年の論文内容の発表に最低な点をもらい、自分の論文テーマにも納得いかず、研究方法も見つからず、それを解決するだけの時間も仕事に取られ、本当に悪循環なんだろうな。

ジャーナリズムについて何か書きたいなぁ。そのためには今年の論文終わらせないと、いけないんだけどなぁ。テーマに何か面白みを見つけないとやっていけないんだなぁ。

 

誰かと話そう。

『Y・Yに』 ー 茨木のり子

 

大人になるというのは

すれっからしになることだと

思い込んでいた少女の頃

立居振舞の美しい

発音の正確な素敵な女のひとと会いました

その人は私の背伸びを見透かしたように

何気ない話に言いました

 

初々しさが大切なの

人に対しても世の中に対しても

人を人とも思わなくなったとき

堕落が始るのね 堕ちてゆくのを

隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 

私はどきんとし

そして深く悟りました

 

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

失語症 なめらかでないしぐさ

子供の悪態にさえ傷ついてしまう

頼りない生牡蠣のような感受性

それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

外にむかってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事

全てのいい仕事の核には

震える弱いアンテナが隠されている きっと…

わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

 

 

締め切りあと1分というところで、レポートのファイルを添付してメールを送ろうとした瞬間に、Gmailが機能しなくなり、送信ボタンを押したはずのメールが送れていなかったというGmailからのお知らせをもらった。ギリギリまで終わらせていなかった自分が悪いのは重々承知の上でも、運の悪さを祟りたくなり、たった5ページのレポートを書くのに2週間以上かけて火照ったアタマというより脳みそは膨張して、爆発しそうなほどのパニックと怒りにパンパンになった。メールサービスをGmailから他に変え、wifiを切って携帯からのテザリングにして、期限通りに送れなかった謝罪を加えて、渾身のレポートを改めて添付して、教授に提出した。夜中の12時01分だった。受け取ってくれるかくれないかは、教授から返事が返って来るまで分からないにも関わらず、私は返事が気になるのか、興奮の極度に達してしまったためか、眠る気も起こらずにラムをストレートで飲みだす。誰かと話したくても、同居人はすでに布団の中で寝息を立て始めているし、夜中に電話できる相手もいない。日本に電話しても朝の7時だし、きっと母も起きたばかりの忙しい頃で、しかも叔父の3回忌に地方へ行って帰ってくる日なら、余計に話もできないだろうと諦めつつも、また話そうねという文章を入れてメッセージを送る。ほどなく、通話の通知が画面に映った。母というのは子の何かを察する機能が備わるようになるのだろうか。何かあったとも聞かずに、相変わらずのマシンガントークで、何がこうであれがどうだったと楽しそうに話している。そうしているうちに、アタマの熱は治まってきて、私もあぁだこうだと合いの手を入れている。最後には、「人生は楽しく生きなさい。何があってもなんとかなるから、とにかく楽しくね、それが一番よ」と言われて、母との通話が閉じた。そうね、何があってもなんとかなるか、とレポートのことも心配しても仕方ないかと思たら、お腹が空いてきて、深夜1時にポテトチップスとヨーグルトを食べた。

溺れ気味

幼い頃から自信がないといろんな人に言われてきたのは、小学校で休み時間に先生に「トイレ行ってもいいですか」と聞いたり、母親に何をするにも「これしてもいい?」と聞いたり、何かしら確認をとって許可を得てからでないと動きたくないと言うのが言動に現れていたからだと思う。中学校の頃に通っていた塾では、自信を持って大丈夫だよと言うことをよく言われ、それが逆に私は自分に自信を持っていないと刷り込むことになってしまったのかもしれないけれど、動物占いでは「根拠のない自信を持ったたぬき」とされている。

最近は本当に自信を無くしている。30過ぎて、なんの仕事を一つ決めてやってきたわけでもなく、20代でうつ病と摂食障害をしてから息苦しくなった日本を出るべくヨーロッパのある国に住み着いて、病気で成し遂げられなかった学士を修め、ついでに修士号も修め、おまけに博士号を目指そうと言うところまで来てしまった。どこの世界に行っても、優れた人はいるもので今年入った学校ではたくさんの秀才な人たちに囲まれたとても恵まれた環境に身を置くことをできた。どんな時も謙虚な姿勢は必要だと思うが、どう考えてもどうして私がこの学校に認められたのかよく分からなくなっている。言語の障害もあれば、やったことのない学問と言うことで学問上のハンディキャップもあり、いろんな文献を読むたびに落ち込むばかりなのだ。

今から始めても遅くはないと言うことがあるけれど、本当に私より10ほど離れた人がスイスイ泳いでいるのを横で見ながら、私は必死にビート板を持ってバタ足の練習をしているのだ。つらいつらい。しかし基礎がなければ、自由には泳げない。バタ足ができずにクロールは泳げない。息継ぎをしなければ沈むのみ。励まし励ましやりながらも、自分で自分を奮い立たせるにも限界というものがありはしないか。私は今とてもつらい。何もできていない自分がつらいのだ。